東京地方裁判所 昭和39年(モ)1455号 判決 1965年7月14日
債権者 ビルマ連邦
右代表者駐日ビルマ連邦大使 ウー・タン・シエン
右訴訟代理人外国弁護士資格者 トーマス・エル・ブレークモア
弁護士 三ツ木正次
田中徹
佐藤哲夫
若林清
上野修
星二良
東京都品川区北品川三丁目三〇三番地の六
債務者 戸田小太郎
東京都墨田区寺島町七丁目二〇番地
債務者 唐沢信一
右両名訴訟代理人弁護士 中村又一
横田武
右当事者間の昭和三九年(モ)第一四五五号不動産仮処分異議事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
債権者と債務者両名との間に当庁昭和三八年(ヨ)第五八八六号不動産仮処分申請事件について、当裁判所が同年九月二日になした決定を認可する。
訴訟費用は債務者両名の連帯負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、本件土地がもと訴外益田太郎の所有であったところ、同人から訴外箱根土地株式会社においてこれを買い受けて所有権を取得したけれども、その登記を経由しなかったことは、当事者間に争いがない。
二、(一) ≪証拠省略≫を総合し、かつ、当事者間に争いのないところによれば、以下の事実を認めることができる。
ビルマ国(≪証拠省略≫によると、わが国は昭和一八年八月一日ビルマ国を独立国として承認したことが認められる。)は、昭和一八年一一月ごろ訴外箱根土地株式会社からその所有にかかる東京都品川区北品川三丁目三〇三番の四、宅地一、八一一坪四合七勺および同所四丁目七五〇番の六、宅地二〇〇坪を駐日大使館の敷地として買い受け、昭和一九年三月ごろその所有権の取得につき必要とされた、外国人土地法(大正一四年法律第四二号)および同法施行令(大正一五年勅令第三三四号)の規定による陸軍大臣および海軍大臣の許可をえて、同月二四日右二筆の土地につき、当時その登記簿上の所有名義人であった訴外益田太郎から中間省略による所有権移転登記を経由した(この登記経由の事実は、当事者間に争いがない。)が、更に昭和二〇年三月一五日、駐日大使館の職員の住宅およびその敷地にあてるため、右二筆の土地と地続きの土地約二、三九一坪およびその地上建物六棟を、その所有者であった訴外国土計画興業株式会社(訴外箱根土地株式会社が商号を変更したものであることは、当事者間に争いがない。)から代金七六二、〇〇五円で買い受けるための売買契約が同会社の会長であった訴外堤康次郎とビルマ国の駐日特命全権大使であった訴外テー・モンの代理人訴外後藤亮一との間で締結されたところ、その後売買建物のうち三棟が強制疎開のため取り毀わされたので、同年五月一四日、売買物件からこれを除くと共に約五六一坪の土地をこれに追加し、代金額を合計金六六六、〇〇〇円とすることに改めたのであるが、この改訂により売買契約の対象とされた不動産のうちの土地が本件土地および東京都品川区北品川四丁目七五〇番の七、宅地三坪四合三勺に当るものである。前記売買契約締結の衝に当った訴外堤康次郎は、当時訴外国土計画興業株式会社の代表者ではなかったけれども、その経営の実権を掌握していたのであって、同会社においても、右売買契約が同会社のために締結されたものとして処理した。このようにして訴外国土計画興業株式会社と前記土地建物につき売買契約を締結したビルマ国は、上掲外国人土地法および同法施行令の規定によって必要とされた、本件土地および前記宅地三坪四合三勺に対する所有権の取得につき陸軍大臣および海軍大臣の許可を求めるための申請を、昭和二〇年五月二一日付で、駐日特命全権大使テー・モンの名においてなし、翌二二日その許可を受けた(この許可のあったことは、当事者間に争いがない。)。ビルマ国は、更に前記買受けにかかる土地建物に関し所有権移転登記を経由するについて登録税の免除をえるべく、そのころ駐日特命全権大使テー・モンの名において大蔵大臣にその申請をしたけれども、当時アメリカ空軍による空襲の激化に伴なう官庁事務の停滞のためにこれが認容されない間に終戦となった(この登録税免除申請がなされたが、認容されないまま終戦を迎えるに至ったことは当事者間に争いがない。)。そこで訴外テー・モンは、かねて訴外伊藤鈴三郎と、同人の実弟の家に止宿したこともあり、かつ、ビルマ国の日本留学生を預かって世話してもらったりした等の関係から親交があったところから、ビルマ国が訴外国土計画興業株式会社より前述のように買い受けた土地および建物に関し訴外伊藤鈴三郎名義に所有権移転登記手続をしておこうと考え、同人の承諾をえたので、昭和二〇年八月三一日、その事情を訴外国土計画興業株式会社に伝え、前記約定代金六六六、〇〇〇円の支払を了した(内金三六六、〇〇〇円については横浜正金銀行の小切手で支払い、残金三〇〇、〇〇〇円については、前記買受け建物のうち一棟が戦災により焼失したことによってビルマ国が受け取るべき保険金を訴外国土計画興業株式会社に収得させることによって決済することとした。)うえ、右不動産につき登記簿上の所有名義人であった訴外益田太郎から訴外伊藤鈴三郎に対し、中間省略による所有権移転登記を経由させた(本件土地につき本文記載のような登記の経由されたことは、当事者間に争いがない。)。
(二) 債務者両名は、本件土地については、ビルマ国の駐日特命全権大使であった訴外テー・モンが個人として、訴外国土計画興業株式会社との売買契約に基づき所有権を取得したのであって、ビルマ国においてこれを同会社から買い受けた事実はない旨主張する。しかしながら、前出(一)の認定に反して、訴外テー・モン個人または訴外後藤亮一が本件土地の所有権を売買によって取得したものであるとの趣旨に帰する証人後藤信夫、≪中略≫ならびに債務者戸田小太郎本人尋問の結果も、乙第二号証および同第三号証中の各記載も共に採用しがたく、他に前出(一)の認定を動かすに足りる疎明は見当らない。
(三) してみると、ビルマ国は、前出(一)において認定した訴外国土計画興業株式会社との売買契約と陸軍大臣および海軍大臣の許可とによって、本件土地の所有権を訴外国土計画興業株式会社から譲り受けたものと解すべきであって、債務者両名は、債務者戸田小太郎において、訴外国土計画興業株式会社より売買によりその所有権を取得した訴外テー・モン個人から本件土地の贈与を受けてこれが所有権を取得した旨主張するけれども、たとえそのような贈与の事実が存したとしても、債務者戸田小太郎がこれによって本件土地の所有権者となるに由ないものであることは、多言の要がないところである。
三、そこで、進んで債権者主張のごとく、債権者がビルマ国の本件土地に対する所有権を承継したかどうかについて考察する。
≪証拠省略≫によれば、ビルマは、一八八六年英国に併合され、英領インドの一州として統治されていたけれども、一九三七年四月一日インドから分離されてビルマ統治法によって直接イギリス本国の統治するところとなったが、第二次世界大戦中の一九四二年(昭和一七年)八月一日ビルマに樹立されたバー・モウ政権が翌年八月一日にビルマ国の独立を宣言すると同時に、わが国はこれを承認したこと、第二次世界大戦の終了後一九四七年(昭和二二年)九月二四日にビルマ仮政府が樹立され、翌年一月四日に英緬条約の発効によってビルマ連邦(債権者)が成立し、(この事実は、当事者間に争いがない。)同国とわが国との間には、一九五四年(昭和二九年)一一月五日平和条約が調印されたが、その発効に先立ち同年一二月一日両国において互に臨時代理大使を任命したことにより、わが国は同日をもって同国を黙示的に承認したことが認められる。ところで、≪証拠省略≫によると、以下のとおり認められる。第二次世界大戦中日本軍のビルマ占領に伴なって一九四三年(昭和一八年)八月一日に成立したビルマ国政府は、イギリス本国との関係では、分離独立を目的とした国内の一つの叛乱団体または法的根拠をもたない地方的な事実上の政府であったところ、一九四五年(昭和二〇年)九月二日日本の連合国に対する降伏と共に壊滅するに至ったのであって、いわゆる鎮圧された革命団体または不成功に終った革命(叛乱)政府となったのである。かかる敵対政権を樹立するまでに至った革命が鎮圧されまたは不成功に終った場合に、鎮圧された政権の財産についての権利の相続または承継に関しては、当該財産が叛乱のおこなわれた本国の領域内にある限りにおいては、国際法上なんら問題を生じないけれども、当該財産が外国にある場合には、従来本国に属していて叛乱政権が押収したものと、叛乱政権が自発的な合意の結果として、あるいは捕獲物の適法な押収の結果として、ないしはその他の方法により取得したものとに区別して、本国政府が、前者の財産については外国の裁判所において優越する権限により、後者の財産については敵対政権の承継者としての権利によってこれを回復しうべきものである。されば本件土地のように、叛乱政権であり事実上の地方的政府であるビルマ国政府がこれを承認したわが国において適法に取得した財産(この点は、前出二において判示したところに徴して明白である。)については、イギリス本国がビルマ国政府の承継者たる地位においてこれを回復しうることになったのである。そしてビルマ連邦(債権者)は、イギリス本国から新国家の分離として正式に独立を遂げたものであるから、ビルマ連邦(債権者)のために、本件土地につき当然国際法上イギリス本国からの権利の承継がおこなわれるべきものである。すなわち、イギリス本国とビルマ仮政府との間に一九四七年(昭和二二年)一〇月一七日締結された条約においては、条約で定める以外の権利義務の承継に関しては一切を国際慣行または慣習に委ねていることが明らかである。ところで国際法の一般原則上、国家領域の一部が分離して国家となり、それ自身一つの国際法上の人格となったときには、譲渡または分離にかかる部分の領域に地域的に関連のある既存国家(被相続国家)の国際的な権利義務および右の領域の部分に存在する国有財産について相続がおこなわれることとされている。従って、本件土地のごとく、その取得資金の出所、取得の経緯、使用の目的(その詳細は前出二において認定したところである。)からみて、ビルマに地域的に関連をもつ財産であることの明らかなものについて、ビルマ国政府からこれを承継し回復する権利を取得したイギリス本国より更にビルマ連邦(債権者)がこれに対する承継回復の権利を国際法上適法に取得し、かつ、これを行使しうる地位に立つものというべきである。そしてわが国としては、ビルマ国を新しい独立国家として承認し、かつ、ビルマ連邦(債権者)政府とも平和条約を締結してこれを承認したものである以上、その効果として、前政府が鎮圧された当時これに属していた財産で、新政府を承認したわが国の管轄内にあるものについて、新政府が所有を主張し占有を継承する権利を有することを認めなければならないものである。のみならず、連合国がわが国を占領中、ビルマ国をも含むカイライ政権の在日財産に関して一九五一年(昭和二六年)一二月一〇日付で日本国政府あてに発した連合国最高司令官の覚書において、多くのカイライ政権の財産で日本に所在するものの法的所有権を決定するために、日本国政府は、相互に合意される時期に、財産を請求する政府を、前のカイライ政権の継承者たる政府として資格のあるものと認めた場合には、それと個別的な交渉を始めなければならないものと定められていたところに従って、日本国政府は、ビルマ連邦(債権者)政府をビルマ国政府の正式承継者として、在日ビルマ財産の返還に関する規定(第六条)を含む平和条約を締結したのであり、更にまた、ビルマ国政府の消滅とわが国が平和条約を締結して承認したビルマ連邦(債権者)政府の成立との中間の時期において、ビルマ国が第二次世界大戦中わが国で適法に所有権を取得した財産の管理につき、わが国とイギリス本国との間に公けの交渉があり、当該財産が終局的にビルマ連邦(債権者)政府に返還されるべきものであることが予定されていた(一九五二年(昭和二七年)四月二日付在日イギリス使節団の賠償庁あて書簡および同年七月九日付外務省のイギリスあて口上書参照)のであるが、これらの事情は、わが国の裁判所においても認めてかからなければならない事項である。
以上判示したところに照らすと、ビルマ国が前出二で認定したような経緯によって訴外国土計画興業株式会社から売買によって取得した本件土地に対する所有権は、ビルマ国から一旦イギリス本国に承継された後、更にイギリス本国より債権者に承継されるに至ったものであるといわなければならない。乙第一三号証によっても、右の判断を左右することはできない。
四、債務者両名は、債務者戸田小太郎が訴外テー・モンから贈与を受けて本件土地の所有権を取得したことが認められないとしても、債務者戸田小太郎は本件土地の所有権を時効により取得したとの予備的主張をするので、その当否について判断する。
債務者戸田小太郎が昭和二〇年九月一〇日訴外テー・モンからの贈与によって本件土地の所有権を取得すると同時に本件土地の引渡しを受けたという趣旨または本件仮処分以前に債務者戸田小太郎が本件土地を占有していたという趣旨に帰する≪証拠省略≫は、いずれも採用できないし、乙第八号証の一(訴外綱島信吉が債務者戸田小太郎から本件土地のうち東北部下段の五〇〇坪を事業用地として期間の定めなく、昭和二二年一月二五日付で賃借した旨の記載のある、右同日付訴外綱島信吉作成名義の債務者戸田小太郎あて「契約書」と題する書面)も、これに貼用された収入印紙が、≪証拠省略≫によると、右作成日付より後の昭和二三年二月六日大蔵省告示第三九号により改正されて同年一月一日から適用されることになったものであることが認められるところよりすると、その記載のとおりの賃貸借契約が締結されたこと、ひいてはそのころ既に債務者戸田小太郎において本件土地を占有していたことを疎明しうる資料とは認めがたく、従って≪証拠省略≫中、乙第八号証の一により当時その記載のような賃貸借契約が成立したという部分も採用できない。債務者戸田小太郎が明らかに本件土地を、その全部であるかまたは一部であるかはしばらく別として、占有していたものと認められる時期は、≪証拠省略≫によって認められる、債務者戸田小太郎において本件土地の一部を訴外白石建設株式会社、同日本国有鉄道および同株式会社熊谷組にそれぞれ使用させるための契約を締結した各日時のうち、最も早い昭和三六年七月一四日当時であったとみるほかないのである。
ところで、この時から債権者の申請に基ずく本件仮処分決定の執行がなされた時(本件仮処分決定のなされた昭和三八年九月二日より以後のことであることは疑いがない。)までの間には、もとより取得時効の期間一〇年を経過していないことが明白であるから、債務者戸田小太郎において本件土地の所有権を時効によって取得したという債務者両名の主張は、既にこの点において失当であり、排斥を免れないものというべきである。
五、本件土地について昭和三七年一月二九日訴外伊藤鈴三郎から債権者に対し、売買名義による所有権移転登記が経由されたことは、当事者間に争いがないところ、債務者両名は、これより先債務者戸田小太郎が訴外伊藤鈴三郎を債務者として申請した東京地方裁判所昭和三七年(ヨ)第四五号事件において、申請を認容し、当該仮処分事件の債務者である訴外伊藤鈴三郎に対し本件土地の処分を禁止する仮処分決定が発せられ、同年同月一〇日その禁止が登記簿に記入されたのであるから、債権者が仮に本件土地につき実体上所有権を取得したものであるとしても、これをもって右仮処分事件の債権者である債務者戸田小太郎に対抗できない旨主張する。
しかしながら、既に判示したところによって明らかなごとく、本件土地は、右仮処分前から債権者の所有に属するものであって債務者戸田小太郎において本件土地の所有権を取得したものとは認められないし、訴外伊藤鈴三郎も右仮処分決定によって禁止されるべき本件土地に関する処分の権限を有するものではない。以上、本件土地に対する債権者の所有権譲受けをもって、前記仮処分に違反するものであるとして債務者戸田小太郎に対抗しえないものであるという債務者両名の主張は理由がないといわざるをえない。のみならず、債務者戸田小太郎は、本件土地の占有につき、その所有者である債権者に対抗しうべき正当な権限を有しないのであるから、本件土地についての訴外伊藤鈴三郎から債権者に対する所有権移転登記の適否を云々することもできないものである。
六、債務者両名が本件土地中本件係争地を共同で占有していることは、当事者間に争いがないところ、債務者戸田小太郎においてその占有につき債権者に対抗しうる権原を有しないことは、上来判示したところに照らして明らかであり、債務者唐沢信一は、本件係争地を正当に占有しうる権原として、債務者戸田小太郎と昭和三五年二月一日に締結した、本件係争地を含む本件土地の一部約一一六坪を目的とする賃貸借契約に基ずく賃借権を主張するのであるが、その賃借権をもって債権者に対抗することができないことも疑いの余地のないところである。
七、さすれば、本件土地に対する所有権に基づく、債権者の債務者両名に対する本件係争地の明渡請求権に関する強制執行を保全するためになされた主文第一項掲記の仮処分決定は正当であるので、これを認可することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条および第九三条第一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 桑原正憲 裁判官 佐藤安弘 裁判官 小林啓二)